松岡幹事長:小川委員は煎茶の家元として、中国と日本の茶の交流文化の研究もされてきた。まずうかがいたいのだが、どのあたりまでが東アジアのお茶文化圏に入るのか。
小川委員:西はインドまでは確実に入る。トルコもアジア的な茶の世界で捉えることができる。今はイギリスの紅茶文化のプライドも多少緩和されて、イギリスまでが中国をルーツとする茶文化圏に入りつつある。アメリカの西海岸には売茶翁に関する研究者が登場していて、日本の煎茶文化への関心が高まっている。そのように見ると東アジアをはるかに超えたお茶文化圏ができつつあるともいえる。
松岡幹事長:コーヒーもトルコのカフアに始まりイギリスのコーヒーハウスやフランスのカフェなどさまざまな文化スタイルになってきたが、お茶のほうはコーヒー以上に、イングリッシュティーの文化、煎茶の文化、抹茶の文化、さらに中国茶や岩茶の文化というように、かなり多様な様式を生みだしてきた。なぜそういうことが可能だったのか。
小川委員:茶は人間の肉体や精神に直接影響を与えるドリンクである。人体と精神に有益な覚醒作用がある。殺菌作用もあり、栄養素の面でもビタミンCが多いなど、人体の生理機能にも有益である。このような薬理的な効能が、早くに道教などともつながった。道士が修行の場とした山中が、じつはお茶の生育環境と非常に合致していたためである。やがて道教と禅がつながり、禅のなかで茶の覚醒作用が重視され、禅の修行に茶が不可欠になっていった。こういうところは、ほかの嗜好飲料にはない点ではないかと思う。
松岡幹事長:いまのアジアの茶文化の状況はどうか。
小川委員:日本人は中国がお茶の発祥の源であるという捉え方をしているが、日中国交回復後すぐに中国に行ったときには、中国にはお茶の文化への関心がほとんどなかった。北方では質の悪いジャスミンティーが飲まれている程度で、南でもあくまで生活飲料として緑茶が飲まれている程度だった。
ところが、日本から中国にどんどん茶の研究者が出掛けていくので、中国もだんだん茶道文化というものに目を付け始め、研究者を日本の茶道界などに派遣してくるようになった。家元制度というのは巨大な富や産業ともつながっているので、中国はそういうことにも目をつけて、いまでは一部で茶道が盛んになりつつある。とくに中国本来のかつての上層階層が飲んでいた茶の文化を取り戻そうという空気が強いようだ。
その過程ではおもしろいことに、まず台湾の茶藝を中国がどんどん取り入れるということが起こった。もともとは中国から台湾に伝わったものだが、中国の茶藝がほとんどなくなっていたので、台湾的な喫茶店が一気に広まっていった。いまは歴史研究も含めてちょっと眉唾なものも出ているが、非常に盛んだ。
松岡幹事長:韓国についてはどうか。最近ようやく韓国の茶道文化の歴史がわかってきて、弥勒信仰や花郎(ファラン)との関係などについて、私も大変関心をもっている。
小川委員:おそらく茶は花郎の必須教養のひとつだった。団茶を煎じて飲むようなスタイルだったのではないか。日本の茶は中国伝来だが、韓国の茶はインド伝来であるという説もある。
少し話が変わるが、中国から日本に茶をもたらしたとされる栄西の『喫茶養生記』には、茶は天竺と唐で飲まれていると書いてある。他の日本人の書いた書物では、天竺と書かれているものがない。そのため、栄西の1回目の渡航は韓国だったのではないかという説がある。また、今も建仁寺に伝わる四ッ頭の茶のルーツについていろいろ調べてみると、どうも中国ではないらしい。ところが、韓国には四神の茶礼というものがある。このように、日本の茶は中国の影響とともに、天竺をルーツとする韓国の影響を受けている可能性がある。
中国は茶藝、韓国は茶礼、日本は茶道という用語がある。それぞれの特色をふまえたわかりやすい言い方なので、かつて国際シンポジウムではそのように呼び分けていた。ところが6~7年前から、中国が「茶道」と言いたがるようになった。茶道のもっとも早い用例が唐代の皎然(こうねん)の詩に登場するので、中国の茶は「茶道」で統一しようということになったらしい。こういうところに、少し中国の「中華思想」が出てきているように感じる。
小川 後樂氏
■信頼を築く企業活動の実践例
竹内委員:私どもの日本電波工業は、水晶デバイスという電子部品で世界の45%のシェアを持っている。水晶デバイスとは周波数の基準に使う部品で、コンピュータやデジタル家電や通信機器など、ICをつかっているものはすべて水晶デバイスをつかっている。とくに車やテレビの放送や衛星のように、止まったり狂ったりしては困るような機器では、私どもの水晶デバイスが多く使われている。
もちろん中国でもどんどん作られるようになっているが、中国は緩い仕様で大量に作るというやり方なので、品質を重視する業界では世界的にまだまだ日本の電子部品が強い。日本にはやはりモノづくりを極めるという文化があるのではないか。電子部品はそういう文化を色濃く継承している分野ではないかと思う。
また、私どもは16年前に中国の蘇州に独資で会社を出した。上海以北では初めてのケースだったが、1年目から黒字を計上することもできた。蘇州市からは、外国から来た企業をきちんと助けていくので、そのことをぜひ他の会社にアピールしてくれないかと頼まれた。そこで我々がそれを引き受けてお手伝いをした結果、いまでは蘇州市の西側の新区というエリアに400社以上の日本企業が進出している。じつは東側には園区というエリアがありシンガポールが進出していたが、こちらはまったく発展しなかった。そこでこちらの園区もやってほしいと頼まれ、いま新たに200社が進出している。こうしていま蘇州には600社の日本企業がある。
この体験は私どもにとってもたいへん貴重だった。互いの信頼関係ができあがると、自然とそこが拠点になり発展していく。中国というのは、一度そのような信頼を築くと、たいへん強い関係を守ってくれるところだということを実感している。とくに最近のリーマン・ショック以降、他の国の企業の多くが蘇州から撤退してしまったが、日本企業は1社も逃げなかった。
先日、ある中国の企業に呼ばれて青島の近くの煙台というところに行った。ここは韓国からフェリーで30分ほどなので、韓国企業が多く進出していたが、やはり夜逃げ同然で撤退してしまった企業がたくさんあったらしい。ところが日本の企業はやはり1社も撤退しなかった。これからはぜひ日本の企業といっしょにやりたいという話だった。
どうも韓国から中国に進出した企業はなかなかうまくいっていないようだ。暴力沙汰の労働争議も起きている。日本企業でそういう話は聞いたことがない。
松岡幹事長:なぜ日本企業は中国とそのようにうまくいくのか。なにか日本的な特性があるのだろうか。
竹内委員:昔、QCサークルが日本企業で盛んだったことがある。デミングというアメリカの統計学者が、日本に品質管理の手法を広めるために1950年ごろに来日して始まったものだ。QCというのは統計技法なので、きちっとやるには難易度の高いものである。しかもそれをやるのは、当時できたばかりの工場に働きに来ている昨日まで農業をやっていたような方たちである。しかもそれは自主的にやってもらうものなので、休日返上で勉強してもらわなければならない。けれども私どもの会社でもそれをなんとかやった。当時の日本の会社はどこもそうだった。
私どもは25年前にマレーシアにも工場を出したが、そのときもQCサークルをやってもらった。最初はなかなか理解されなかったが、いい会社にするためには現場の一人一人が品質管理をやらなければならないのだということをじっくりと説得した。こうしていくと、日本と同じようにマレーシアでも、中国でも、現場のなかで匠の集団が出来上がっていく。
このように、もともと欧米で考え出された品質管理の手法が、日本でもっとレベルの高いかたちで展開されている。いまの生産現場は昔のQCよりももっと一段進んでいる。それをすぐに中国や韓国で教え込もうとしても非常に難しいほどだ。
松岡幹事長:ITやコンピュータやロボットなどの機械による作業代行力が進歩した現代でも、日本人の匠の精神やQCの優秀さは発揮できるのか。
竹内委員:私どものように加工を連続的に行う電子部品のような企業では、まだまだそれが生きている。ただし部品を調達して組み立てるアッセンブリーの企業では、そういった匠の精神による差別化は難しくなっている。連続加工の場合はプロセスそのものを管理しなければならないため、やはりノウハウが重要になる。そういう工程はまだまだ中国や韓国ではできない部分がある。
私どもの会社では、オーディオビジュアルやオフィスオートメーション向けの部品を中国やマレーシアの工場で、携帯電話の基地局のような精度が厳しく求められる部品は日本に集中させている。割合でいうと日本が60%である。
今後はやはり中国の大きな購買力を求めた戦いになっていく。そのためには、自分たちが投資をしてということだけではやっていけない。そのため、どうやって中国の中に仲間をつくるかということを、私どもも一生懸命考えているところだ。
竹内 寛氏
■多様な東アジアと連携のための課題
松岡幹事長:今後、東アジアのそれぞれの地域性の違いや日本の特質などをふまえて、いったいどういう組み合わせが起こっていくとおもしろいか、あるいは可能性があるだろうか。
小川委員:茶の世界一つとっても、日本の中だけでも煎茶と抹茶のように対照的なものが併存している。抹茶は狭い空間で飲むもので、重くて厚いというイメージがあるが、これは朝鮮半島の文化につながっていく。もう一方の煎茶は薄くて軽い開放的なイメージがあって、こちらは中国の福建省から浙江省周辺の海洋型の文化につながる。日本ではこの二つの異なる文化が流れ込んでいて、名古屋を境に東が茶の湯、西が煎茶というように併存している。
松岡幹事長:日本は東国が金の決済、西国が銀の決済というように、経済の仕組みもデュアルスタンダードだった。その背景には、中国の北の文化と南の文化というデュアルを、韓半島を経由して取り入れてきたという、大きな流れがある。たとえば水墨画の場合は、中国の北は三遠というヨーロッパとは違う遠近法を駆使した全景山水だが、南は辺角山水といって超部分を現すだけで全景を感じさせるというように手法がまったく違う。医療でも、北は肌を露出しないでも治療できる鍼灸が発達し、南は薬草をつかって汗をどんどん出すような漢方が発達する。
小川委員:日本の茶のばあい、社会の階級との関係も興味深い。煎茶は京都を中心とする貴族社会で、抹茶は鎌倉を中心とする武家社会で好まれてきたという歴史がある。文化の併存といっても、じつは朝廷と幕府のように現実的な対立なども孕みながら、襞をつくり層を厚くしてきたという経緯がある。さらに近世になって、葉茶(リーフティー)が登場してくる。入れ方に対応した呼び方では「淹茶」(えんちゃ)という。今の日本はこの「淹茶」の時代ということになる。
じつは煎茶は幕末の時代、茶の湯に対する抵抗勢力として、新たに王政復古のような形で勤王の武士たちによって取り入れられたという歴史がある。幕末から近代にかけては、一時、煎茶が茶の湯を圧倒していた時期がある。
松岡幹事長:東アジアの茶文化を見て行くだけで、いろいろな文化交流の歴史から、今の話のように時代を動かすエネルギーや影響力も見えてくる。遷都1300年を祝う事業でも、ぜひティーカンファレンスを取り入れてみるとおもしろいだろう。
遠藤委員:二つほど提案がある。先日の「東アジア地方政府会合提唱者会議」のときに感じたのだが、奈良の町の中の案内板などに、日中韓それぞれの国の表記をもっと増やすべきではないだろうか。
それから、いま韓国と日本のあいだでは、名前を呼ぶときにそれぞれ相手国の発音で呼ぶということが定着しつつあるが、中国と日本とのあいだでは、まだまだそういうことができていないようだ。日本人は中国人の名前を日本読みにし、中国人は日本人の名前を中国読みする。こういうことも、来年の本会議までに統一していく工夫をしたほうがいいと思う。
松岡幹事長:おっしゃるように、同じ漢字文化圏でも日中韓がそれぞれ発音が違うことに加え、じつはITの世界では漢字フォントの文字コードが統一されていないということも問題になっている。そういう意味で、日中韓の交流もまだまだインフラのところからいろいろな整理をしていく必要がありそうだ。
松岡 正剛氏
会議の風景

